ちんちん電車を偲ぶ資料館

2025年05月21日(水) 13:20

日本発信四方山話, 神奈川
WHEN TRAMS RULED YOKOHAMA
Yokohama once had an extensive streetcar network, fully retired by 1972. The Yokohama Tram Museum preserves this legacy through historic vehicles, dioramas, and exhibits. A visit revealed how local events like large-scale clam digging once helped promote streetcar use—showcasing how the city’s landscape and transportation evolved over time.

横浜の街を路面電車が走り回っていた時代というのがあったらしいのです。路線数が最大だった頃の系統図がこちら。

しかし、昭和40年代になってから順次廃止され、昭和47年(わたしが生まれた年だ!)には完全に姿を消したとか。当時の様子を後世に残すための資料館が横浜市電保存館です。車両がたくさん展示されていました。

中に乗ってレトロな雰囲気を楽しむこともできます。

運転席もオープンなので、運転手気分も味わえます。

けっこう気合いの入った鉄道ジオラマもあって、子ども達がかぶりついていました(今は故障中みたいですが……)。

横浜市の歴史展示というのも充実していて、丁寧に見ていくと、今では我が家ご近所の海の公園でしかできない潮干狩りが、当時は四万坪とか、十万坪とかいう規模で養殖場を開放して行われていたことがわかりました。昭和10年代、市電の利用客を増やすための催しのひとつだったんですねー。興味深い。

ちなみに、先の系統図でもわかるとおり、横浜の西の端にある金沢文庫界隈までは市電が到達することはなかったらしい。というのも、まだ埋め立てされてなかったんですね。市営地下鉄やベイブリッジの建設など「横浜市六大事業」というのが市電の廃止を進めると同時に動き出したようで、その中のひとつが「金沢地先埋立事業」として紹介されていました。

埋立事業の完了後に誘致された日産追浜工場が閉鎖されるかもしれない……というのが界隈の現在地です。時代とともに、いろいろ変わっていきますね。