野口英世のはじまりの地

2025年05月20日(火) 15:02

日本発信四方山話, 神奈川
HIDEYO NOGUCHI'S STARTING POINT
The building is a reconstruction of the bacterial laboratory where Hideyo Noguchi (then 22 years old), an assistant to Shibasaburo Kitasato, worked as an assistant seaport quarantine medical officer in the late Meiji period. He discovered and isolated the first plague patient in Japan, and as a result of that accomplishments, he was sent to Qing China, so this place seems to be a "place of beginning" for him. You will find some interesting exhibits including a letter from her mother.

ジョギング途中に偶然発見したキレイな色合いの建物。

明治時代後期、北里柴三郎の助手だった野口英世(当時22歳)が海港検疫医官補として働いていた細菌検査室を再建した建物と展示だそうです。へぇー。

日本における初のペスト患者を発見し、隔離するという成果をあげ、その功績で清国への派遣が決まったりなんかして、彼にとってはここがひとつの「始まりの地」らしい。

わたしの一番の驚きは、この建物の際まで、明治時代はまだ海だったということ。この界隈は江戸時代以前から明治、そして現代に至るまでずーっと埋め立てが続いていたということなのですね。

当時使われていた水道の蛇口や、

麻酔をかけるときに使われていたクロロホルム吸入器や、

細菌の培養をしていた様子を復元した部屋などが見学できます。

お隣の長浜ホール1階にも関連資料の展示があります。野口英世に宛てた母の手紙が興味深い。かなり一生懸命に書いたことが伝わる筆致です。息子の出世を喜び、応援しつつも、寂しいから早く帰ってきてほしいと訴える手紙。

子どもの頃に読んだ野口英世の伝記に「借金を踏み倒しまくった」という内容が書かれていたことがなぜかとても心に残っていて、「偉業の前に人間としてどうよ?」とか幼心に思っていましたが、母の気持ちがいっぱいに詰まった手紙が残っているということは、彼が大事に持っていたということですよね。すこし見直しました笑。