相互主観性なる難しい話

2015年12月25日(金) 16:04

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IMPORTANCE OF MUTUAL SUBJECTIVITY?!: Subjectivity is a key word to consider and design a high-quality UX, but an academic argues the importance of mutual subjectivity in the context of service design. What he stresses is that an act of struggle between a service provider and its recipient might enhance the service quality based on his field research at fancy sushi restaurants in Japan. This is such an interesting argument, and he would share his lessons on edX, starting at the end of January. Anybody interested?

ソシオ上野さんのまとめにも登場した“主観性”について。UXを考えるときに常に意識の中央にあるべき存在。ユーザーと言ったり、消費者と言ったり、あるいは顧客と言ったり、文脈によって、組織によって、使われる言葉はこれまた色々かもしれませんが、とりあえずここでは“ユーザー”と呼ぶことします。UXだし。そのユーザーサイドの主観性に重点を置き、長期的レンジで文脈や環境込みのインタラクションを観る、考える。その産物として作り上げられた何かをユーザーが主観的に感じるアレコレ…って感じにざっくりとUXをまとめてみた(笑)。上野さんはコレにテクノロジーの活用をさりげなく追加してましたが、確かにテクノロジーのおかげで実現されるアレコレというのはたくさんあると思うけれど、テクノロジーありきというのはわたしは嫌なので(なんでもかんでもアプリで解決みたいな展開がイヤだから)、個人的にはそこはパスで。

で、話は飛びますが、11月下旬の京都旅行。観光話はさんざん書きましたが仕事の話を端折っていたのでここで登場させてみる。ヒューマンインタフェース学会研究会を聴講してきました。京都大学経営管理大学院の山内裕氏による『闘争としてのサービス:デザインへの含意』という大変興味深いお題の招待講演、コレがねらいだったのです。今年の春、中央経済社から刊行された『「闘争」としてのサービス』が良書(写真[1])ですごく考えさせられる内容だったので、その著者がどんな話を聞かせてくれるのか楽しみだった。

 

[1] 闘争としてのサービスは良書 [2] 著者による講演@京都 [3] edXにて授業開講予定

そこで語られた内容を勇気を出して一言でざっくりまとめると「サービスは相互主観性である」となる(写真[2])。ご自分の研究に自信があるからか、そこは自信を持って当然だからか、“サービスは”と言い切っているところが実にカッコイイわけですが、「(彼がリサーチフィールドに選んだ)高級寿司店におけるサービスは相互主観性である」とするのが妥当かな、と。“サービスは”と言い切るにはもう少し違うフィールドだったり、同じ飲食系でも広がりを持たせたりしてもらわないとですね。もちろん、取り組みは進んでいるようなのでそこに対するこれ以上のツッコミはなしで。

じっくり考えたいのは“相互主観性”のほう。これはつまり、サービスの仕手はもちろんだけれど、それと同時にサービスの受け手のレベルが上がっていくことが、サービスのクオリティを上げ、価値を高めることに繋がるのであるってな話。とわたしは解釈しました。写真のスライドにもあるとおり(変換ミスがあるのが残念…)商品の領域では、ユーザーが迷わず使えるようにデザインしてあげないとダメです…というユーザーの主観性全開前提でデザインすることが望まれてきました。それがユーザビリティとか、人間中心設計とか、UXとか、そういう領域の発展を下支えしてきたわけですよね。でも、領域をサービスへと展開させた場合、主観性はサービスの仕手と受け手の双方に認められるものであり、それらが互いに影響し合うことによってこそサービスは昇華する、というのが彼の研究の主張だと思います。昨日書いたフロントUXとバックUXの話ともそれとなく繋がるけれど、これは実に奥の深い、難しい話になってきました…。

今のところの個人的な結論。サービスの仕手と受け手の間に“闘争”があるからこそサービスとして昇華すると考えられるサービスと、もっと泥くさく、フロントのUXとバックのUXとのそれぞれを適切にデザインして、インタラクションに闘争や摩擦を生まないように設計するからこそサービスとしての価値が上がるものと、両方があり得るのではないだろうか? サービスとしてどちらを目指すか、どちらが好ましいか、という議論がサービスデザインの過程であって然るべきなのでは? Normanも「ユーザーを甘やかすべきではない」的なことをどこかで言ってたしな…(出典、ちょっと探しましたが見つかりませんでした。スミマセン)。

ということで、この相互主観性に興味のある方は、『「闘争」としてのサービス』をお手にとっていただきまして、さらに余力のある方は、edX(エデックス)1月下旬に開講される『Culture of Services: New Perspective on Customer Relations』を一緒に受講しましょう! 年度末スタートの8週間コースで英語か…(写真[3])。大丈夫かな? 頑張れるかな?