被爆被害を伝える展示館

2011年06月09日(木) 18:57

日本発信四方山話, 東京

EXHIBITION OF RADIOACTIVE DAMAGE: Happened to find Daigo Fukuryu Maru Exhibition Hall nearby during our weekly jogging. A tuna fishing boat built of wood, which was damaged by the US H-bomb test explosion on March 1, 1954, on the Bikini Atoll, is displayed here. The boat looked just fine. That’t the point. Radioactive damage is invisible. I now want to pray for those who are trying hard at the nuclear power plant in Fukushima, fighiting against blind terror.

遡ること約60年前、太平洋のビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験で被災したマグロ漁船 第五福竜丸の船体と、被爆した乗組員とその家族のその後の苦悩を後生に伝えるための資料を展示する第五福竜丸展示館というのが、我が家から走って30分ほどのところにある夢の島公園の中にあります。お察しのとおり、ジョギングの途中で偶然発見しました。福島原発の情勢がなかなか落ち着かない昨今なので、地味にタイムリーな発見です。

 

[1] 第五福竜丸の船体 [2] 第五福竜丸の大漁旗 [3] 黒田征太郎さんのイラスト展

アメリカが定めた危険区域の外側(東へ30キロ)にあたる公海上で操業していた船に死の灰(放射能を大量に含んだ珊瑚礁の細かいチリ)が降ったのは1954年3月1日の早朝のことだったそうです。身体に付着するだけでなく、鼻や口から体内にも吸い込まれてしまった死の灰は、乗組員全員を急性放射能症へと導きました。帰国するまでも、そして帰国してからも、死の灰を浴びた乗組員たちは死の苦しみを味わうことになりました。治療と祈りの甲斐なく亡くなる方も出ました。半年におよぶ闘病の末に亡くなった無線長が残した言葉「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」が染みます。

展示館はそれほど大きくないのですが、その中に船体がばばーんと収まっていて窮屈な印象です。甲板の様子なども見られるようになっているのですが、何に驚くって、甲板が特に何の変哲もないただの甲板だということ。死の灰をキレイに片付けたら、まるで何事もなかったようにそれまでどおりの姿になるのです。放射能被害ってそういうことなんですよね。見えないのです。

今も、福島の原発で見えない恐怖と闘いながら一日も早い事態の収束に向けて頑張ってくれている方々を応援しないとならない…という気になりました。