世界遺産五箇山の苦悩

2011年05月08日(日) 17:27

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富山から南へくだり、ユネスコの世界文化遺産に登録されている白川郷と五箇山の合掌造り集落を見てきました。

 

[1] 展望台から白川郷をのぞむ [2] 五箇山の菅沼集落 [3] 五箇山の相倉集落

まず、五箇山を通り過ぎて、岐阜県は白川郷へ突入です。かつて城郭があった高台が荻町城跡展望台と名を変えて、白川郷を一望するスポットになっています。村へ入る前にまずはそこまで山を登り、合掌造り集落を上から眺めてみました(写真[1])。雪は溶けた後だし、田畑が緑に染まるのはもう少し先だし、季節的にはいまひとつのタイミングでしたが、ちょうど桜や水芭蕉が見頃を迎えていて、雪解け水のせせらぎとともに素晴らしい風情でした。五箇山に比べると、白川郷は規模が大きく、また道路や用水路などの整備も進んでいて、村をあげて観光地づくりに勤しんでいることがうかがえます。でも、そんな努力を五箇山はしたくてもできない…っていう興味深い裏事情があるってことはあまり知られていません(後述)。

五箇山は、菅沼集落と相倉集落の二ヶ所がメインです。どちらも、白川郷に比べるとかなり小さな集落で、比例して観光客の数も少なく、寂しい感じ。合掌造りの家屋の数は、菅沼に9棟、相倉に20棟だそうです。白川郷は100を超えるらしいから、規模の差は歴然ですね。しかも菅沼集落(写真[2])は、駐車場からかなり下った場所に位置していることもあり集客に必死の様相。エレベータがあったりして、少し興ざめします(笑)。

相倉集落は四方を山に囲まれていて、その分だけ雪も深いようで、ゴールデンウィークの終盤になってもまだ雪がちらほら残っていました(写真[3])。朝方の冷え込みも半端なかった…。築210年という合掌造りの民宿庄七に泊まったのですが、風邪を引かずに帰ってこられたのは奇跡に近いです。民宿庄七は、先祖代々五箇山を守ってきた池端家の本家だそうで、70代半ばになるおばあちゃんとその息子さんがやりくりしているお宿。若旦那は50歳くらいだそうですが、それでも村で4番目に若い労働力なのだとか(子供たちはカウントしていません)。過疎化、高齢化が深刻ですね。毎年1割くらいのスピードで人口が減っていて、現在は41人しか住んでいないのだそうな。一方 の白川郷はとてもうまくやっていて、なんと人口が増えているってーから驚きです。どうしてその差が生まれるのか? 若旦那の話によりますと、五箇山はユネスコの世界遺産登録を受ける前に、国指定の史跡として保護を受ける道を選んでしまっていて、その縛りで、新たに家屋を建てることも、既存の家屋を壊すこともできないらしい。既存の建物を補修・改修する際にも、国へ届け出て許可を受けなければならない。若い人が住んでみたい、住んでもイイって思えるような設備を加えることができないためになかなか人口を増やせないのだそうです。一方の白川郷は史跡登録を受けることを拒否してきたことが幸いし、道やら家屋やらの追加や補修もさほど難しくないってことで、若い人たちを魅了する手立てをいろいろと講じているそうな。ちなみに、世界遺産登録は“お金持ち”の国交省の管轄、史跡登録は”お堅い”文科省の管轄っていう縦割り政治も背景にあったり、それから白川郷は岐阜県、五箇山は富山県っていう微妙な位置関係も何気に影響が大きいらしい。テレビをはじめとするメディアでの扱われ方が違うのだとか。白川郷は南へ下って、名古屋を抱える愛知県への広報とそこからの集客が比較的容易だけれど、日本海側はそうもいかない…っていう悲しい現実。昔は間にある山々に隔たれて白川郷と五箇山の交流はほとんどなかった。それが道路の整備や世界遺産云々というので交流が深まったけれど、文化や考え方、国との繋がりなどなどが思いの外に違って結構とまどっているみたい。白川郷を見習って、五箇山だってもっとうまくやりたいし、若い人口を増やさないと本気で村の存続が危ぶまれるってことでマジ大変なご様子でした。

素通り観光では裏事情をここまで知ることはできなかったでしょう。泊まり込んで良かった。観光地のサービスデザインはとても楽しそうで、やり甲斐がありそうだけど、実際に手をつけようと思ったら、お役所や歴史が絡んですごく大変なのですね。すごく勉強になりました。

白川郷と五箇山のその他の写真はWebアルバムでどうぞ〜。

 

白川郷のスイングショット。やはり規模がデカイほうが絵になるんだよね…