避難中の人間観察

2011年03月20日(日) 13:57

UXいろいろ, 日本発信四方山話, 東京, ヒトについて

最初の地震がきたときは、マンションの1階ロビーに避難しました。あまり深く考えずに持って行った仕事鞄の中に読みかけの本が1冊入っていたので、それを読み終わるまでは待避にしよー!と自分の中で決めたのを思い出します。旦那をはじめとする家族と連絡がつかない状態でただぼんやりしていると、もっと悪い状況とかを想像してしまって気が滅入るから、なるべく平静でいられるように、本を読むことで余計なことを考えないっていう作戦はけっこう良かったと思っています。これを教訓に、iPadに電子書籍をたっぷり入れておくっつー準備をしよう(と思い続けて一週間。いまだ手つかず。喉元過ぎれば何とやら…。反省…)。

避難してすぐの頃は、子供たちも地震の大きさに動揺し、お母さんの言うことをきいておとなしくしていたのですが、余震が落ち着いてくると、じっとしていられなくなって走り回る子が徐々に増えてきました。事態の深刻さを理解できないから仕方ないよな…と思いつつ、わたしは読書に熱中していたのですが、あるとき、男の人が怒鳴ったんです。

「おら、ガキどもぉ、走りたいなら外に行け!」

ちょっとビックリしました。その場に居合わせた人、全員がビックリしたと思う。

最初は、「こういう状況なんだから少し大目に見てあげようよ、大人なんだからさ…」という思いと、「このくらいの状況でそんな怒鳴るほどのストレスを感じちゃってるの?」という驚きとがふと頭に浮かんだけれど、読書を中断して少し考えてみた。そして、「いや、もしかしたら、東北に家族のいる人で、連絡がつかなくて心配で仕方ないってこともあり得る」とも思ったりしました。

そこのジャスコでカップ麺やら何やらを買いだめてる人や走り回る子供たちに耐えられなくて怒鳴ってしまったオジさん、彼らが置かれている状況や抱えている心配事は第三者の目には見えないんですよね。大人なんだから我慢しようよとか、みんな大変なんだからワガママはやめようよとか、つい言ったり、思ったりするけれど、抑えきれずに怒鳴ったり、ワガママを言ったりする人にも事情やはき出せない思いがあるかもしれないってこと、忘れないようにしようと思った。つい怒鳴ってしまった人が一直線に悪者にならないように、針のむしろな状況にならないように配慮できる人でいられるように頑張ろう…と思った。

被災地の避難所では、今後ますますストレスが高まっていくと思います。どうぞ一日も早く、そのストレスから解放される日がやってきますように…。