現存天守のひとつ宇和島城

2023年04月18日(火) 15:17

日本発信四方山話, 愛媛
UWAJIMA CASTLE DONJON
This donjon was built in 1601 by Todo Takatora, a well-known castle builder in the age of provincial wars, and rebuilt and rennovated about a half century later by the 2nd feudal lord of Date. It became the residence of the Date family, who bought it back from the government at the beginning of Meiji period to keep it as it was for the citizens. The mountain with the donjon on top has survived fires and felling for over 300 years, which now offers over 400 different species of plants.

現存12天守のうちのひとつ、こちらが宇和島城天守です。

築城の名手と称される藤堂高虎が築いた当時は違う姿かたちだったそうで、この天守は伊達宗利の代に大改修されたもの。太平の世となってからの大改修だったため、挟間や石落としなど防衛設備がない一方、畳敷きだったり障子が張られていたりという優雅なつくりになっているのが特徴です(だそうです)。

つづいて、藤堂高虎が建てた城の天守を伊達家が改修している件。
藤堂高虎は、関ケ原の戦いの後、その功績や築城の実績が買われて伊賀国と伊勢国(三重県のあたり)を治めるよう命じられます。仙台藩主伊達政宗の子の伊達秀宗が宇和島藩初代藩主に落ち着くのは、大阪冬の陣での武勲が認められた結果とされていますが、妾の子だったため仙台藩を継がせてもらえず愛媛に飛ばされたということでもあったらしい。ちょっとしたお家騒動。

仙台藩と宇和島藩は、それでも同じ「竹に雀紋」を家紋として使っていて、その家紋がカワイイ。

葉の数や節の数がちがって「仙台笹」と「宇和島笹」と呼ばれ、区別されているそうです。根強いお家騒動。

そんな宇和島笹を家紋とする伊達家が明治維新までずーっと宇和島城の城主を務めました。明治時代の廃藩置県により各地の城はお取り壊しになりましたが、「宇和島城を残してほしい!」と願う宇和島の人々の声を受けて、伊達家が城山ごと買い戻し! そのおかげで(かつ戦火を免れたおかげもあって)天守閣が今に残っているわけです。廃藩置県の後、いくつかの城がその姿を残せた理由が実は気になっていたのですが、政府から大枚はたいて買い戻そうとするお金持ちが地元にいたかどうかが理由のひとつのようです。勉強になりましたー。

城山は300年以上の長きにわたり、人為的な伐採や火災から免れてきたおかげで400種類を超える植物に覆われています。天守へ向かう石段も苔むしていてキレイでした。

天守閣からの眺めも最高。晴れていればきっともっと最高。