富岡製糸場と絹産業遺産群
2014年03月04日(火) 18:48
UXいろいろ, 日本発信四方山話, 群馬, モノ+コトの話TOMIOKA SILK MILL AND RELATED SITES: It was established in 1872 by the Meiji government as the first model silk-reeling factory in Japan, and remains today as it was about 140 years ago. Japanese government now promotes it toward the registration on the World Heritage List, and it will be judged in this June. Takayama-sha Sericulture School, which is one of the other related sites and is known as the birthplace of a modern sericulture method called Seion-iku, was more interesting from my point of view, though the overall impression was not brilliant. Let’s wait and see the assessment by UNESCO.
群馬では、温泉へ向かう前に富岡製糸場と絹産業遺産群の見学をしました。今年の6月に予定されている世界遺産委員会で登録の可否が決定するらしい。夏には、もしかしたら世界遺産登録という目標を達成するかもしれないという群馬県が誇る産業遺産です。
メインの富岡製糸場(写真[1])、明治維新直後の富国強兵政策のもと、主要な輸出品だった生糸の品質向上と増産をねらって明治5年に設立された官営の製糸工場です。木の骨組みと煉瓦壁の建物がとても美しかった(写真[2])。敷地は広大で、見学にいったい何時間かかるだろう…と当初すこし不安になりましたが、心配ご無用。内部を見学できるのは東繭倉庫の一階の一部(ちょっとした博物館になっています)と操糸場の一部のみでかなり期待ハズレです…。操糸場には昭和40年代以降に設置された自動操糸機(写真[3])が保存されていて間近に見ることができますが、ビデオを見たうえで、ガードマン兼解説員といった風体のオジサマのお話を聞いてもなお、繭の“正しい糸口”を探し当てる方法は理解できず終いでした…。とりあえず、解説が長くてしつこくて分かりにくくて困った(笑)。
予想外にあっさり見学し終わった富岡製糸場を後にして、高山社跡へ向かいます(写真[4])。これがまた遠い…。車で30分以上かかりました。高山社跡は、旧家に育った高山長五郎さんが興した文字どおり“高山社”という会社の跡地です。自宅を改造して建てた蚕室(さんしつ)で試行錯誤の末に編み出した清温育(せいおんいく)という養蚕飼育法は、高山社を通じて国内外へと広まったそうです。どこからともなく現れた解説員のオジサマのお話によりますと、ほんの4年ほど前まで、高山家のご子孫が住宅として使っていたそうですが、効率の良い繭の飼育を実現するためにと作られた建物は換気スースーであまりにも寒いっつーことで別のお宅に住まわれることになったのだとか。おかげで一般公開していただけるようになっているわけですが、すでに国の重要文化財に指定されているため、勝手に補強や改築を行うことはできません。われわれが訪れた際は他に観光客もおらず、普段は進入禁止としている二階の見学をお許しいただきました。急なだけでなく、段に足を置くたびにユラユラと揺れる、そう遠くない将来に砕け散りそうな階段(写真[5])を昇って、繭の飼育に使われていたという棚や小道具を拝見しました。蚕室を温めるために使用されていた火鉢は、作業員がつまづくことのないようにと二階の床下にぶら下がる作りになっています(写真[6])。一階から見ると逆に天井からごっつい箱が出っ張っていて見るからに邪魔だし、危ない。二階の床が抜けたら熱々の火鉢が降ってくるわけで、心穏やかに暮らすのは難しそうです。
文章量からもお察しいただけるかと思いますが、富岡製糸場よりも高山社跡のほうが見応えありました(笑)。いや、そもそも見るとこ少ない…。他にも荒船風穴(あらふねふうけつ)や田島弥平旧宅といった施設がともに世界遺産の構成施設とされていますが、前者は冬期間立ち入り禁止ですし、後者は現在も個人住宅のため庭までしか拝見できないということで、果たして世界遺産登録は成るのでしょうか…(微妙っ)。「でも、石見銀山がいけたからね」と、旦那はエールを送っているようでした。