篠山城下町の様子

2016年07月26日(火) 17:00

UXいろいろ, 日本発信四方山話, 兵庫, マチとヒトの観察

SASAYAMA CASTLE TOWN: Sasayama Castle was ordered to build by Ieyasu Tokugawa to encircle Osaka Castle, the stronghold of the Toyotomi family, and to isolate warlords of Western Japan. The tower of the castle was not built, maybe because such a figurehead of the castle was not necessary from Ieyasu’s point of view. Osyoin, the main building of the castle, was reproducted, and it should be the main sightseeing spot of the town, though it’s pale against things in Kyoto. Well, still, you can find something interesting and fascinating, like the view from the highest spot of the castle, the shape of the moat around it, and the sacred tree of Aoyama Shrine with a roof (which is rare, I think).

篠山城は、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、大坂城の包囲と西日本の諸大名を抑える拠点とするために築いた城で、1年足らずの突貫工事でこれだけの堀やら石垣やら大書院やらを作らせた割には、天守閣は作らなくてよろしー、ってことだったらしい。家康勝手だな。いや、ただのお飾り天守閣なんて不要と経営重視で切り捨てたのかもしれん。

 

[1] 復元された篠山城大書院[2] 内堀がくねってた[3] 天守台跡地からの眺め
[4] 外堀と内堀の間に学校ある[5] 青山神社の屋根付きご神木[6] 勝手口ならぬ埋門


そういうわけで、篠山城下町の観光メインはこの復元された大書院ということになるのでしょうが、姫路城やら京都二条城やらを見たあとで行くとかなり見劣りするわけで(すみません…)、大書院の中よりも、くねった内堀や天守台跡地からの眺めのほうが魅力的。外堀と内堀の間に小学校が建っていたりして、しかもその校舎がシャレオツだったりもする。本丸跡地にある青山神社のご神木は、朽ちてしまったからか分かりませんがバッサリ切られて切り株となっていましたが、屋根付きでした…。こんなん初めて見た(笑)。城の南側には埋門(うずみもん)がありまして、非常時には埋めて遮断するらしいです。ただのお勝手口にしか見えなかったけども…。

 

[7] 町の道具屋さん[8] ビックリして止まれそう[9] 充実のランニングショップあり
[10] 古い物なんでも買ってくれる[11] 町のデパートメントストア[12] 誰がなんと言おうと東洋一


武家屋敷資料館や骨董品を展示する歴史美術館なども拝見しましたが、京都の後だとどうにも見劣りする(しつこい笑)。町をぶらぶらすれば、全般的にモヤモヤしてるし。

にもかかわらず、自信満々に“名実共に東洋一”を宣言している通りを発見。自信は大事だ。うん。何が東洋一なのか、は語られていない。そこは意図的にモヤッとさせているのだとしたらなかなかのやり手。 町に観光客の姿はまばら。観光客どころか人の姿がまばら。猛暑日だったからだな、きっと。町全体をホテルとして機能させる…までの道のりは長そうでした。応援するのでガンバッテください。